じっくりコトコト

のんびりゆるり備忘録

あなた本位

 

"Everyone is necessarily the hero of his own life story."

John Simmons Barth

 

うんうん、なんかどっかで聞いたことある。あれ?いつ誰から聞いたんだっけか?まあいっかって、そんな程度。さほど仲が良いわけでもないこの言葉が、ポーンと頭に浮かんできてからなかなか帰ってくれないので文章におこしてみました。それにしても外は雨がひどいですね。今日、劇場版コード・ブルーを観に行ってきました。こんばんは、ゆゆです。

 

劇場版コード・ブルーを母と二人で観ました。上映後、母とオムライスを食べながら、朧気な記憶を頼みにピースを組み合わせて、ストーリーをなぞって。「生意気な名取先生、サイコーだねかわいい」「食事シーン美味しくて楽しいのに少なくてかわいそう」「てか、お母さん泣きすぎじゃない?」「いや、あれを観て泣かない方がおかしい」「ほら、私ドライアイだから」なんて話をして。それで、素敵な作品に出会えたから、この気持ちをなにかに残しておきたいな~なんてぼんやり考えていて。そんな時にポーンと、「やあ、久しぶり。元気してた?」みたいなラフさで頭の中に居座り始めたのがこの子でした。

 

「誰であっても、自分人生という物語では主人公である」

 

この作品のテーマとして私の中に濃く映ったのは、人との関わりを通して描かれる「それぞれの道」でした。

自分の人生。その中で、たくさんの人と出会って、関わって、理解したり、分かり合えなかったり。他でもない自分自身が主人公の物語。なんていうけど、実際は自分ではない他の誰かに影響されたり、振り回されたりすることも少なくなくて。同時に、今度は自分が他人に影響を及ぼすこともある。それが、ずっとプラスにだけ傾けばいいのに、そう上手くもいかなくて。悔しくて、「自分のせいだ」と責めて、そんな自分が情けなくなったりもする。「影響」は決断の背中を押したり踏みとどまらせるのには十分。でも、当たり前のことだけど、最終的な決断を下すことはできない。「ずっと一緒にいてくれればいいのに」と願っても、自分の意志だけではどうすることもできない。

だって、私はあなたにはなれないから。

進む方角を決めるられるのは自分しかいないから。

決断の時、私たちは自分本位にならなきゃいけない。「自分にとっての最善」を考えなければいけない。だけど、どうしても考えてしまう。「私がこの道を進んだら、この人は」って、他の誰かのことを、考えたくなってしまう。でも、最後は自分に我が儘にならなきゃ。というかなってほしい。あなたのやりたいように。だって、道は交わることはあっても、重なることはないから。一度しかない人生、あなたの生きたいように生きて。あなた自身を生きてって。

そう思えること自体が幸せだよなあって。

自分自身の道で、時には迷ったって仕方がないけど、迷ってばかりではいられない。私たちは「今」を、だれかと共有しながら生きてる。だから、小さな歩幅でも一歩一歩着実に、進むことが大切だ。遠回りをしたっていい、遠回りした分他の人より多くの景色を焼き付ければいい。そうそう、一歩二歩、二歩三歩…ってあれ?ありふれた明日へって? ああ、また影響されてる。いつもはじっくり書く方なのに即席でバーッと思ったことを書いてしまったけど、こういうのも楽しいな。雨の音が楽しそう。あー今日の夜ご飯何だろう。お昼はオムライスだったし、サッパリしたものがいいな。開始10秒で鼻をすすりだすような母だけど、この生活が当たり前じゃないことを噛み締めて、今日はちゃんと心を込めて「いただきます」を言わなくちゃ。

 

 

 

27歳のあなたへ

 

いつの間にやら春は熱に溶かされて、頼んでもいないのに張り切りすぎちゃった夏は毎日飽きもせず24時間営業ご苦労様で。情報が解禁された頃のふわふわとした心地も日に日に現実味を帯び、ついに明日はじめましてをする冬ノ介にドキドキが止まりません。そして、あなたの誕生日から丁度一か月が経ちました。

こんばんは、ゆゆです。

 

27歳の伊野尾くんが過ごした一年間はどんな一年だったんだろう。

たくさん美味しいものを食べたかな

心に残る経験が増えたかな

お腹を抱えるほど笑ったり

幸せだなぁってジーンとしたり

思い返して笑顔になれるような一年だったかな

そうだといいなぁ。

皆さんはどんな一年を過ごされましたか?

 

私はね、なかなかハイカロリーな一年でした。

きっとこの先、この一年を思い返すことが何度もあるんだろうなってくらい。

 

いろいろなことがあって、結構個人的にしんどいなぁってことも。

たくさんのものを犠牲にして得た特権を、いつの間にか疎ましく思ってしまって。

自分で選んだ道だからこそ、結構悲しかったな。

すごく不器用なんです。だからなんかもういっぱいいっぱいで。

 

私が今まで信じてきたものって「自分自身の努力」でした。

「頑張った」って言えるくらい頑張ってきたつもりだった。

だけど生まれ持った才能というものは残酷で

周りと同じスタートラインにすら立てない自分に苛立ったりとか。

休まず地道に一歩一歩進んだって、私より大きな歩幅はまた差を広げていくから

どんなに努力したって結局全部無駄なんじゃないかなって。

 

だからね、「ジャニーズどころじゃないんだよなぁ」って思っちゃったんです。

そんなにハッピーじゃねえんだよなあって。

満杯だったコップの中身はいつの間にか溢れてしまっていて

ひっそりと鍵を閉めて視野を狭めて

だから、たまたま目の前に広がっていた一筋の道が、唯一の選択肢だと、

それが「世界」だと過信してしまったのかなと思います。

 

だからどうしても「見たくない」と思ってしまいました。

伊野尾くんは他の誰よりも輝いてキラキラしているから

その揺るぎない存在に、「ファンとアイドル」という距離感の心地よさに、今まではずっと甘えてきたのに、

なんだかそのキラキラに呑まれてしまいそうで。

こんな気持ちじゃ楽しめない、伊野尾くんのこと好きなんて思えない、って。

マイナスは「好き」を生み出さないって勝手に決めつけていました。

 

でも、違った。

 

12月23日に放送された「メレンゲの気持ち」

実は夏頃からずっと見ていなかったんです。

なんだか見る気になれなくて、どんどん録画だけがたまっていって、毎週録画を切ったのが最後。

だから伊野尾くんの努力もその軌跡も、何も知らなかった。

最後まで見ないつもりでした。だけど、いつの間にか毎週見ていた母が録画してくれていました。

伊野尾くんの涙が忘れられません。

きっとずっと忘れません。

 

努力がすべて無駄になる訳がありませんでした。

そんなことはずっと前から分かっていました。

分かっていたけど、弱い心は卑屈になって

大事なものから無理やり目を背けて

素直に正面から見ればいいだけなのに

いつも通りに戻ることがその時の私には難しかったんだと思います。

伊野尾くんの努力は綺麗でした。

人の心をつかんで、動かして、残す。

美しさは力を持っていました。

それは彼がどれだけの思いと覚悟を

この企画にかけてきたかを物語っていて。

いきなりぐっと背中を押されて、わっ!って思わず前を向いてしまったような感覚。

そうだった、この人は努力の人だったって。

何にも興味を持たなかった私が

彼に惹かれたのは、そういう部分だったなあって。

 

初めて味わった感動や気持ちって、

大切なのに、忘れちゃいけないのに

その上にいくつもいくつも積み重なっていくにつれて

「大切」が増えていくにつれて

いつの間にか見失っていたりするもので。

だけど、もがいている最中にたまたまその宝物と再び巡り会って

また輝きを取り戻して、心に暖かい灯りを灯してくれて。

本当にこの人が好きだなあって。

 

救われました。

本当に救われたんです。

ありがとう。

心から感謝しています。

 

あの日から一度も辛いことがなかったとは言えません。

それでも、前を向いていられるのは、あなたのおかげ。

きついなぁ、しんどいなぁって時は

伊野尾くんをみて、

今日もお仕事頑張ってるなって

伊野尾くんの言葉に触れて、

明日はもっとこうしてみようって

いつの間にか笑顔になれちゃってるの。

本当にすごいなあ。

好きです。

ありがとう。

 

伊野尾慧くん。

あなたは

飄々としていて

何も考えていないんだからって

ほんとテキトーだよねって

周りからの言葉にえへへって笑って

だけど、本当はいろんなことを考えていて

周りの空気に敏感で

ファンのことも、JUMPのことも

共演した方々や、スタッフの皆さんも

その吐出した発想力と

独自のユーモアで楽しませてくれる

自分の中に譲れないポリシーがあって

だからといってほかの意見を否定したりせず

いろんな意見を向けられても全部飲み込んで

プラスもマイナスも残さず自分の味方にしてしまう

いつも楽しもうという姿勢で挑んで

あなたの飾らない自然体の姿に

いつの間にかこちらまで笑顔になってる

眠たげな顔をしているけど

実は自分の出るタイミングを見極めていたりとか

器用だけど

その器用さは自分の力で得たもので

かわいい顔してモグモグした後で

ふわっと笑いをさらってみたり

あなたの過去も現在も

面白おかしく話して見せるけど

苦悩や努力のプロセスはちっとも教えてくれない。

 

あなたは本当にすごい人。

 

大好きです。

そんなあなたが大好き。

これからもずっと、ずっとファンでいられるかは分からないけど、

でもあなたへの「好き」はきっと変わらないだろうなて思います。

だって、この「好き」の気持ちにたくさん助けてもらったから。

だからこの気持ちとはずっと一緒にいたいなって思います。

 

いつかあなたのような強い人間になれるかな。

賢い人になれるかな。

なんてね、なります。努力だってなんだってしてやります。

本当に尊敬してるから。

尊敬だけで終わらせるの悔しいから。

 

伊野尾くんに貰ったものは

一つとして同じものはない

色とりどりの宝物。

ありがとう。感謝してもしきれません。

 

だから、どうか幸せになってね。

世界で一番、いや、一番じゃなくてもいいや

心から「幸せだなぁ」って思える幸せを見つけてください。

そんで「言われなくても幸せになるわ!」って

へへっていつもみたいに私たちに笑って見せてください。

 

遅ればせながら、

お誕生日おめでとうございます。

生まれてきてくれて、アイドルという道を選んでくれてありがとうございます。

こうして勝手ながらもあなたの誕生日をお祝いできることが、本当に幸せです。

どうか28歳のあなたのそばに、一日でも多く、ひとつでも多くの幸せがありますように。

 

好きです。

 

ゆゆ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あるエンターティナーの話。

 

それは正に、青天の霹靂。

 

なんとなく意図を察して、時折意表を突かれて惑わされて、その遊び心がくすぐったかった「月末」の暗黙ルール。

左上隅っこの特等席。テンションの高い時限定で目立ちたがりになる彼に似て、気まぐれに主張するそれが可愛かった。

 

しかしその魔法もまた、気まぐれな彼によって解かれた。それは、ちいさな秘密の終わりと、なんとも贅沢な「月末」の約束。

彼の「今月はどんな1カ月でしたか?」という言葉とともに、1カ月を振り返るのが好きだった。この問いかけに明るい言葉を返したい。その思いは、いつも心を暖かく包んで軽くしてくれた。だから今月も、なんてそう思っていたあの日。

 

無秩序に散らかった混沌と動揺。私の知る、彼とは真逆のそれに滲む違和感と戸惑い。何度も何度も読み返して、得られる情報と忙しい感情を、動かない頭で咀嚼して。そしてようやくストンと落ちてきた彼の悪戯と、途端に押し寄せる喜びと愛しさを噛み締めながら「またやられてしまった……」と天を仰いだあの日。

実を言うと、私は少々鷹をくくっていたのだ。あまり言葉にしない彼にしては珍しい気まぐれ。それによってドミノ倒しのように従順に落ちていく私達を見て、なんとなく裏を返してみたくなっただけだと。それはそう、彼にとっては砂時計をひっくり返すだけの感覚で。

 

しかしその翌日、私の呑気な分析をひらりと交わした彼は、なんの前触れもなしに「毎日」更新の幕を開けたのである。

 

知らず知らずのうちに彼のシナリオに巻き込まれ、オーディエンスとして配役された私達は、日々彼の甘い言葉に踊らされ続けた。ストーカーチックなあの人の意味深な更新。使うことを躊躇した返信機能。巧みな謎解き。どこからが思いつきでどこからが計画なのか彼にしか知ることの出来ないシナリオは、少し歪で、だからこそ魅力に溢れていた。

 

「期間限定」を念頭に置くことで一旦気持ちを落ち着かせてみたものの、どんどん裏切られていく予想に反して主張を増す終わりの存在。不確かでいて明瞭なそれに気づかないフリをしたくなることもあった。

だけど、忘れずに毎日更新してくれる彼を思うと、なんだか申し訳なくて。不安定な毎日がもどかしくて。忘れてくれてもいいのに、なんて思うこともあった。

そんな矛盾した思いがぶつかり合う訳でもなく、ただそっと共存するような日々だったように思う。幸せの裏にひっそりと寂しさが潜むような、そこから目を背けたいのに目を向けざるを得なくて、でもどこか見たい気持ちもあるような。彼のシナリオには、そんな撞着と中毒性があった。

 

そして3月15日、44日にも及んだ更新はついに幕を閉じた。

 

「慣れた」「当たり前」「飽きた」

そういった感情を少しでも抱いたことはなかったかのように思う。

 

レギュラー番組やラジオ、雑誌もコンスタントにあり、加えて新曲リリースにつき歌番組、ライブにはリハーサルや会議だってついてくる。演技の仕事や海外での仕事も増えてきた。思いつく限りでも目が回りそうなのだから、実際その多忙さは、ぬくぬくと育ってきた私には想像すら及ばない。

しかし、そんな多忙な彼が、貴重なプライベートの時間を私達との繋がりの場に当ててくれたこと。それは何ものにも代え難い事実で。優しい彼からの、唯一無二の贈り物。それが本当に嬉しくて、幸せで、あぁこんな在り来りな言葉で表したくないのにと頭を抱えてしまうような。表現のしようのないことすら、愛しく感じるような。そんな気持ち。そして、続けてくれたこと。その優しさは、日常の一部になどなり得なかった。

 

雑誌媒体でのインタビュー。脚色と解釈の手助けが加えられることによって、より読みやすくより気軽に楽しむことができるし、解釈の差異が生まれずらい。しかし、彼らの言葉をそのまま感じることは出来ない。

それを踏まえた上で、彼らの言葉を誰の手も加えられずにそのまま感じられる、それこそがこのツールの最大の魅力だと、私は常々感じていた。まるで宝物を探し出すように、何度も何度も読み返しては文体の癖に特徴や共通点を探し出す。九人九色の文章。「独特な絵文字使うんだなぁ笑」だとか、「きっとたくさんの時間をかけて、この文を考えてくれたんだろうなぁ」だとか。見つけた後は少し知ったような顔をして、自分の中の偶像にひとつまみの信憑性をまぶして。

その魅力を活かしたまま、新しい角度で彼はまたその秀でた発想力を私たちに展開してみせた。恋人と錯覚してしまいそうな取り留めのないやり取り。前代未聞の返信機能。協力一体型の謎解き。彼の発想力と創造力の産物、それはもはや、誰にも真似の出来ない新感覚のエンターテインメントだった。

 

そして漠然と予感していたフィナーレは、盛大に訪れた。

「あなたに見合う男になって帰ってくるまで待ってて欲しい。」

何も知りませんというふうにお得意のきょとん顔でファンを転がす策士。だけど、謙虚で優しく、誰も傷つけない終わり方に、彼らしさを垣間見て愛しさがこみ上げた。「ああ、この人のことが好きだな。好きになってよかったな。」なんてしみじみと浸ったりもして。いつも素敵な贈り物をくれる彼を思いながら、幸せに溺れたりもして。

 

「今日、更新してくれるのかな?」っていっぱいのワクワクとドキドキをひとつも零さないように慎重に、でもどうしても地面のちょっと上を歩いちゃって。口角も自然と上がってしまうような帰り道も。何度開いても新鮮に映るときめきも。いつもより近くに感じる錯覚も。彼が灯してくれた暖かい灯も。優しさがやみつきになる非日常も。全てが愛しくて、全てが、私の大切な宝物。

 

だから、私は忘れたくないのだ。

あるエンターティナーが残してくれた、

長い長い夢のような物語を。

彼が見せてくれた見たことのない景色を。

続けてくれた優しさを。

 

そして最後にこの言葉を贈りたい。

 

 

ありがとう。

 

 

 

推しが卒業を発表しました。

 

 

私数日前からインフルにかかっていまして。もうすっかり元気なんですけど潜伏期間で外に出れず、遅れを取り戻すべく朝からパソコンをカタカタしていたのでろくに携帯を見ていなかったんですね。

 

それで先程Twitterを開いて、何気なくトレンドを見たら、あぁとうとう、とうとう来てしまったか。あまりにも突然で、それも彼女らしくて、でもそろそろなんだろうなという予感はしていました。今菓子パンを片手に少し泣きながらこのブログを書いています。おはようございます、ゆゆです。

 

 

私、小学生からずっと女子ドルが大好きなんですけど、片足しか突っ込めてなかったんですよね。どのグループのどの人も全力でアイドルしているその姿がかっこよくて、可愛くて、憧れで、応援したくて……でも、彼女たちには卒業がある。二度とアイドルをしている姿を見れなくなる時が来る。そんな考えが頭を過ぎると、最後の1歩で踏みとどまってしまうことが多かったです。

 

そんな時、目が離せなくなったのがショートカットの彼女でした。

 

私が初めて彼女の存在を知った当時はセンターを務めていて。オーラ、表情、眼差し。全てに「私はアイドルに命懸けてんのよ!」みたいな、そんな力強さと迫力を感じて、でもそれとは裏腹に崩れてしまいそうないっぱいいっぱいで立っているような脆さも感じて、目が離せなくなった。この子のこれからを見ていきたい、歩んでいきたい、応援したい、支えになりたい。そう感じました。

 

 

ファンになってから知ったことはたくさんあります。群を抜いて目立つキレのあるダンス。煽りが全力でかっこいいこと。笑顔は可愛いけど、大人っぽい表情をするとどこか影があって様になること。真面目で少し不器用な性格。カメラに抜かれた時の表情が息を飲むほど綺麗なこと。その場の雰囲気や空気を作る才能がずば抜けていること。重いものをたくさん背負っているのに笑顔を絶やさないそのプロ根性。そして、大きくて優しいグループとファンへの愛情。

 

でも、年末のレコ大と紅白歌合戦。あの放送を見てから、急に彼女が遠い存在に感じました。万理華ちゃんのいないインフルエンサー。乃木坂にとってもファンにとっても、大きな節目だったと思います。私はダンスで圧倒的存在感を誇る二人の裏センターのこの曲が大好きでして。なんだか美しさの中に折れない強さがある、これぞ乃木坂!って勝手に盛り上がってたんですよね。でも、万理華ちゃんがいなくなってからどうなるんだろう……と私の好きなインフルエンサーが崩れてしまいそうな気がして少し不安になってたんです。そんな膨らんだ高揚に少し穴を開けて、不安を滲ませて見た歌番。言葉を失った。彼女の存在感に。あんなに彼女は大人びていたっけ、あんなにも成長したんだ、と。そしていつも以上に強く光る眼差し、前を見据える閃光の奥に、揺るぎない芯が見えて、あぁもしかしたらと何となくその時に寂しい気持ちになったのを覚えています。でも本当に素晴らしいパフォーマンスだった。彼女にはセンターが一番似合うと常々思っていたけど、裏センターというのもとてもハマるなぁとまた新しい世界を見せてくれた推しに感謝しました。今の自分の役割を見極めて全うしている、そんな推しが最高にかっこよかった。

 

そして今日、生駒里奈さんが乃木坂46の卒業を発表されました。

 

まだ実感がいまいち湧かない。だけど、ブログを見て、メディアで大々的に「初代センター卒業」と取り上げられているのを見て、あぁ本当なんだなと実感よりも先に涙がこみ上げてくる、そんな状態です。

 

いや〜やっぱり難しいなぁ。うん。でも応援したい。そう思わせてくれた人だから、これから応援したいし、するんだと思います。ブログを書けば少し整理がつくかなぁと思ったけど、ほんの少ししかつかなかった(笑)でも、どこまでもグループを思いやる文章は彼女らしくて、「背中を押してくれませんか?」という言葉はなんだか彼女らしいような、らしくないような。たくさんの勇気を使って発表してくれたんだなぁと思うとまた涙が止まりません。大好きな人の新たな第一歩。背中を押さないわけにはいかないでしょう。

 

生駒里奈さん。

 

乃木坂46卒業、決心するのにたくさん悩んでくださったんだと思います。ありがとう。そして、あなたの新たな世界の幕開けをここに祝福したいと思います。おめでとう。

 

たくさん生駒ちゃんの涙を見て、その涙につられて私もたくさん涙を流しました笑。たくさん辛いこともあったよね、でも楽しいことも嬉しいこともたくさんあったと思います。お疲れ様でした。

 

アイドル生駒里奈をずっと応援していました。これからもずっと生駒里奈を応援し続けます。

 

素敵な青春をありがとう。あなたを応援した時間は私の大切な宝物です。

 

大好きです。

 

本当はもう少し、アイドルをしているあなたを見ていたかった。

 

 

 

 

 

 

はじめました。

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 初めましての方も、いつもお世話になってますの方も、

こんばんは、ゆゆです。

遂にブログ始めちゃいました☺️

 

ずっと憧れていたブログ!

知識も経験も少ないので、拙い文章しか書けないのに始めてもなぁ…でもやってみたいなぁ…と行ったり来たりしていたのですが、

自己満でもいいじゃないか、これは記録だ!と開き直り、筆をとってみました✏️

 

私、数学ヲタクなのもあってかもっぱら文系科目がダメで。だから文章を書くのが得意ではないのですが、好きなんです。

なんでかっていうと、「残す」ことができるから。

 

私は、脳のキャパシティーには限界があると思うんです。

もちろん個人差はあると思います。 私の場合、詰め込みすぎてパンパンになると、「お前のポンコツ脳にはもう無理じゃ〜」と、引き出しの取っ手がポロポロと落ちて、開けられなくなります。「あれ?絶対この辺にしまったはずなのに!」って引き出せなくなります。

 加えて、私の脳は本当に取捨選択が激しいです。「はい、このテスト終わったよね?ゴミ」なんて感じで「あ〜!それは応用でまた使うから……」っていう私の声を無視してポイポイしてしまう。

 

こういう時、私は脳のキャパシティーの限界を感じます。何かを得るには何かを失わなければならない。よく見かけるフレーズは、こんな所にも通ずるのかぁと痛感するんです。

 

そして、脳は 勉強に限らず、「思い出」もきちんと整理してしまう。

 

これが、とてももどかしくて、寂しい。

 

できることなら、私はその瞬間感じた、胸の高鳴りを、身を焦がすような高揚を、どうか永遠に続いてほしいと思うわがままを、全部全部傷つけないように丁寧に包んで宝石箱にしまっておきたい。

何度も同じ気持ちを味わえたらいいのに、と私はいつも思います。

でも、それは叶いません。

その瞬間は「その瞬間」にしか味わえない。

もちろん、二回目三回目に新たな発見があって、幸せを感じた経験は、数え切れません。でも、その記憶は各々皆違うと思うんです。ぴったり同じピースが嵌る、なんてことないと思うんです。人は思い出を一時的でも、記憶するから。

それはやはり「一度目の記憶」があってこその「二度目の記憶」。積み重ねた記憶はフィルターとなってまた違う景色を生む。どれも素敵だけど、もう二度と味わうことは出来ない。だって思い出は、唯一無二だから。

なのに、私たちは忘れてしまいます。記憶は時間に洗われて淡く霞んでいく。私はそれがとても悲しくて、時に絶望します。

 

でも、だからこそ「その瞬間」はより価値のあるものになるのだ、とも思います。

 

だから、今日も私は言葉に、嬉しかったこと、感動したこと、幸せだなと思ったこと、愛しく思ったこと、「その瞬間」を託したい。いつでも見返して、その時の自分を感じることができるように。

時には、苦しいこと、辛いことも残してしまうと思いますが、それもまた私の色だと思っていただければ幸いです。脳内ハッピー人間でも、時には悩むこともあります。だって、人間だもの。☺️

 

今のところは、140字では語りきれないものを、語りたくなった時にひっそりここにやってこようかなぁと思っています。

「伊野尾くん!好き!大好き!(大の字)ばかりじゃない」と言われてしまったら、返す言葉もございません。結論はいつだってそこだと思います。

でも、仕方がない。なんてったって伊野尾くんへの愛がトゥービックなんだもの😌

心に響く名言を並べるなんて高尚なことは、ガキンチョのわたしにはまだ早い。辛口コメントはちょっと怖いけど、それもまた人間の面白い所だとどこかの偉い人が言っていた気がするので、豆腐メンタルに鞭打って受け止めます☺️

だから、私は私のままで、私の言葉で、「伊野尾くんへの好き」を残せたらいいなと思っています。これが未来の私への素敵なプレゼントになると、今の私は思うから。   

 

挨拶なのに思った以上に長くなってしまった…ここまで読んでくださった方、本当に貴重なお時間をありがとうございます😢

よかったら、気が向いた時に遊びに来てください。多分1人で「わ〜伊野尾くんが好きだ〜!」ってジタバタしてると思うので、「またやってるよ」ってゆるく見守っていただけたら幸いです。

 

それでは、この辺で終わりにしようかな。

ここに訪れてくださった方にたくさんの幸せがありますように!

愛を込めて。

 

 

ゆゆ